輪王子宮墓

歴史と沿革

後西天皇の第6皇子・公澄親王、公弁法親王、第8皇女喜久宮、第1皇女誠宮 及び中御門天皇第2皇子公遵親王、東山天皇皇曾孫公延親王は毘沙門堂内のここ輪王寺宮墓地に眠っています。
公紹親王・舜仁親王・公寛親王の本墓はここ京都府京都市山科区安朱稲荷山町毘沙門堂内と思われます。
「陵墓地形図集成」によると、日光と寛永寺の輪王寺宮墓地では皇族門跡13人の墓塔が全部揃っていますが、こちら毘沙門堂では上記4人分が欠けているのが謎とされています。
制札には「後西天皇皇子、公弁親王墓以下六墓五塔」と書かれてある通りに、此処には歴代の毘沙門堂門跡が眠って居られて、宮内庁治定外を含めれば全13基が並ぶ壮観さである。
毘沙門堂は天台宗京都五門跡寺院(三千院/青蓮院/妙法院/曼殊院/毘沙門堂)の一つであって、歴代門跡はまた日光輪王寺の門跡でもある。この寺(前身は出雲寺)は鎌倉以来の荒廃が続いたが、江戸時代初期に活躍した天台宗の僧である天海が再建。その弟子の公海僧正へと引き継がれ制札にある後西天皇皇子・公弁法親王を迎えて以来の門跡寺院の格式を誇るとされるそして天海の墓もあるそうです。

住所〒607-8003 京都府京都市山科区安朱稲荷山町
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